2018.5.24

突然、黒い血を吐き倒れた夫。44歳、働き盛りの夫が「肝硬変」になった話【vol.1】

30代、40代の働き盛り世代は、仕事や家庭のことが忙しく、自分の身体のことは後回しにしがち。
しかし、まだまだ若く健康だとタカをくくっていると、命に関わる疾患を引き起こしてしまうこともある。
これは、44歳の夫が肝硬変になった4人家族の闘病記。自身の健康を振り返るきっかけにしてほしい。(全6回)

藤井 みな子
肝硬変の夫を早く専業主夫にしてあげたいと奮闘する44歳のフリーライター、2児の母。投資や海外事情の記事を得意としている。

黒い血を吐き倒れた夫


それは昨年2017年のお盆休みになったばかりの土曜日のことでした。好物のタコライスを「なんか気分が悪い」と、夫は2口でスプーンを置きました。

そこから1時間、トイレから出てこない夫。下痢と嘔吐を繰り返していたもよう。その症状を聞いて、わたしの頭に最初に浮かんだのは「もしかしてノロウイルス?」でした。

土曜日なので、休日診療をしている中規模の救急病院に診療が可能か問い合わせました。夫の症状を話し、嘔吐物には少し血が混ざっていると伝えたところ「そのくらいの症状だったら、多分大丈夫。血が混ざっているのは、吐きすぎて喉から少し血が出たのでしょう。夜まで様子を見てください」と言われたので、自宅で様子を見ることになりました。

もしノロウイルスだったら、4歳の娘にうつしてはいけないということで、心配で後ろ髪を引かれつつも私たちは2階へ。夫だけが1階でリビングとトイレを往復、という状態が5時間くらい続いたところで、1階の夫から電話が。

「救急車呼んでくれ」

急いで1階に降りると、お風呂場が真っ黒に。夫が血を吐いてぐったりしていたのです。すぐに近所の救急病院に運ばれました。病院につくと、すぐに内視鏡検査が行われ、医師からつけられた言葉は「肝硬変による食道静脈瘤破裂ですね」。肝硬変!? 予想もしてなかった病名に目の前が真っ暗になりました。その日どうやって病院から家に帰ったかは覚えていません。

「肝機能低下」を甘くみてはいけない

実は、夫は8年前の2010年に肝機能低下で1ヶ月入院したことがありました。でも、このときは肝炎とは診断されず、それでも、退院して3年くらいは半年に1回、定期検診に行ってチェックしていました。でも、わたしが下の子を妊娠したころ、つまり5年前あたりから、検診に行かなくなってしまったんです。わたしは毎月のように「今月こそは検診に行ってね」と催促していたのですが、「ああ、今度予約しとくよ」と言いながら時間は過ぎていきました。

とはいえ、お酒が好きで毎日浴びるように飲んでいた夫も、8年前の入院以来、平日は500mlの缶酎ハイ2〜3本に抑えて気を使っていました。お休みの日は、だいたいお昼から23時くらいまで家でだらだらと飲んでいる、なんていうこともありましたが…。)

そしてそのまま5年が経過。突然、血を吐き救急車で運ばれることになったのです。

「肝臓は沈黙の臓器」は本当だった

肝臓が「沈黙の臓器」と呼ばれていることを知っている人は多いのではないでしょうか? 医師によると、やはり、肝機能が低下しても自覚症状が乏しく、血液検査で異常値が出たり、食道静脈瘤が破裂したりでもしない限り、本人は気づかないことが多いそうです。

夫の場合もまさにそれ。8年前、肝機能低下で入院したときは、めまいがひどくて病院に行ったら即入院だったそうです。このときは、驚異的なスピードで回復したことと、また、3年間の経過観察で問題がなかったこともあり、自分の肝臓は強いと過信し、検査なんか受けなくても平気だと思っていたようですが、今回の吐血。「肝炎」を飛ばして、いきなり「肝硬変」と診断された原因は、肝臓の自覚症状の出づらさに加え、過信によるものといえるでしょう。

肝硬変は肝臓がんに移行しやすい

実は、わたしの祖母もウイルス性のC型肝炎から肝硬変になり、最後は肝臓がんで亡くなったので、肝硬変は治療が非常に困難で完治しづらい病気で、肝臓がんに移行する確率が高いことは昔から認識していました。医療技術の進化で、治るケースも増えてきたようですが、ちょっとスマートフォンで調べると、肝硬変の5年生存率は25%、など怖い記事ばかりが出てきます。

夫の年齢は44歳。4歳の娘、17歳の娘と私を含めた4人家族です。下の子はまだ幼稚園なのにどうしたらいいんだろう。これから肝硬変を悪化させないために、治療はもちろん、食生活や生活習慣の改善を、日々行っていかなければなりません。病気と闘うリアルな日常をご紹介することで、我が家と同じ年代のみなさんに、なんらかの気づきがありますように。そして、健康維持へのアクションにつながればと思います。

上 昌広(かみ まさひろ)
この記事の監修ドクター
医療ガバナンス研究所理事長
マーソ株式会社 顧問
1993年東京大学医学部卒。1999年同大学院修了。医学博士。
虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床および研究に従事。2005年より東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム(現・先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。 2016年より特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長。
山本 佳奈(やまもと かな)
この記事の監修ドクター
医療ガバナンス研究所 研究員
1989年生まれ。滋賀県出身。医師。
2015年滋賀医科大学医学部医学科卒業。ときわ会常磐病院(福島県いわき市)・ナビタスクリニック(立川・新宿)内科医、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員、東京大学大学院医学系研究科博士課程在学中、ロート製薬健康推進アドバイザー。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)

Colorda編集部