乳がんは日本人女性で最も多いがんです*1。それは、家族や親戚に乳がん患者がいる方も多いことを意味します。乳がんは親から子どもに遺伝することがあり*2、遺伝による発症リスクは遺伝子検査(遺伝学的検査)で調べることができます。この記事では、遺伝によって乳がんになる確率、検査のメリット・デメリット、費用などについて解説します。
★こんな人に読んでほしい!
・家族や親戚に乳がん患者がいる方
・乳がんになった方
・乳がんの遺伝子検査(遺伝学的検査)について知りたい方
★この記事のポイント
・乳がん全体の5~10%が遺伝によるもので、この遺伝性乳がんの半数以上が「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」である
・HBOCであるかどうかを調べる手段には「BRCA遺伝学的検査」や「がん遺伝子パネル検査」があり、日本では現状「BRCA遺伝学的検査」が主流
・HBOCの診断目的で「BRCA遺伝学的検査」が保険適用となるには条件がある。保険適用となった場合、3割負担で約6万円
・遺伝子検査(遺伝学的検査)でHBOCとわかれば、がんの対策がとれたり治療の選択肢が増えたりする一方、家族もHBOCの可能性があることになり、不安が生じやすい。メリットとデメリットを把握して検査を受けるかどうか決めよう
目次
乳がんが遺伝するって本当? 遺伝性乳がんの代表例「HBOC」とは?
遺伝により乳がんを発症する確率は、乳がん全体の5~10%
乳がんの5~10%は遺伝によるものとされており*2、これを「遺伝性乳がん」といいます。乳がんは日本人女性に最も多いがんであるため、遺伝性乳がんの可能性を考えたとき、女性のみならず家族や親戚に乳がん患者がいる男性にとっても決して他人事の病気ではありません。
日本乳癌学会によれば、乳がんの発症リスクは、親・子ども・姉妹に乳がん患者がいる場合、いない場合と比べて2倍、祖母・孫・おば・めいにいる場合は1.5倍です*2。さらに、家族や親戚に乳がん患者が多いほどそのリスクは高まります。
なお、遺伝性乳がん以外の乳がんは、生活習慣や食生活、女性ホルモンによる影響などの環境因子が複雑に関与して発症していると考えられています*3。
遺伝性乳がんの半数以上が「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」
遺伝性乳がんには複数の種類があり、全体の約60%を占めているのが「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC:Hereditary Breast and Ovarian Cancer)」です*4。遺伝性乳がんは、親から受け継いだ生まれつきの遺伝子に“乳がんになりやすい変異”が見られます。このうちHBOCでは、だれもが持っている「BRCA1遺伝子」と「BRCA2遺伝子」という遺伝子のいずれかにおいて、がんになりやすい変異が見られるのが特徴です*2。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)はその名のとおり、乳がんや卵巣がんを発症しやすいことがわかっています。そのほかにも男性乳がんや前立腺がん、膵臓がんなどの発症しやすさとも関係しており*5、女性に限らず、男性でも注意が必要です。しかしながら、HBOCがこれらのがんを必ず発症するわけではありません。米ワシントン大学が発表した報告によると、これらのがんを発症する確率は下記の通りです*6。
<HBOCの場合の発症確率>
乳がん (女性) | 乳がん (男性) | 卵巣がん | 前立腺がん | 膵臓がん | |
---|---|---|---|---|---|
BRCA1に変異あり | 70歳までに55~72% | 1~2% | 39~44% | 85歳までに29% | 1~3% |
BRCA2に変異あり | 45~69% | 6~8% | 11~17% | 85歳までに60% | 70歳までに3~5% |
乳がんの遺伝子検査とは?
HBOCを調べる遺伝子検査としてBRCA遺伝学的検査がよく使われている
身近な遺伝子検査の方法として、Webからだれでも検査キットを購入でき、唾液を入れて郵送する「消費者向け(Direct to Consumer:DTC)遺伝子検査」があります。この検査は大量の検査データをもとに体質や病気の発症リスクの傾向を提示するもので、医療上の診断・診療には利用することはできません*7。
HBOCであるかどうかを調べる手段のひとつとして、「BRCA遺伝学的検査」が挙げられます。BRCA遺伝学的検査は、医療施設で採血してBRCA1とBRCA2という遺伝子を調べる検査で、DTC遺伝子検査とはまったく別のものです。BRCA遺伝子とHBOCの関係は科学的に明らかにされており*8、検査結果の解釈の仕方や今後の対応については医療施設で聞くことができます。
BRCA遺伝子を調べる検査はほかに、「がん遺伝子パネル検査」があります。BRCA遺伝子を含む遺伝性腫瘍(家族性腫瘍)に関連する数十~数百種類の遺伝子を一度に調べられますが、費用は50万円前後と高額です。がん遺伝子パネル検査が保険適用となるには、すでに特定のがん患者であることを始め複数の要件があること*9、病的な変異なのか判断できない遺伝子も検出すること、検出以降の医学的管理のエビデンスが不十分な遺伝子も含まれることなどから*10、現時点の日本ではBRCA遺伝学的検査が主流です*8。
BRCA遺伝学的検査が受けられる医療施設は限られており、がん専門病院や地域のセンター病院、一部のクリニックなどです。JOHBOC(日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構)では認定制度をもうけており、認定施設一覧は下記から確認できます。
JOHBOC 認定施設一覧(外部リンク)
https://johboc.jp/shisetsunintei/shisetsulist/
検査前後は遺伝カウンセリングが推奨されており、遺伝学的検査の結果が出るまでは一般に約3週間を要します。BRCA遺伝学的検査を受けるかどうかは、検査のメリット・デメリットを理解し、医師や遺伝カウンセラーと相談しながら、よく考えて決めることが大切です。メリット・デメリットはあとの項目で詳しく解説します。
HBOCを調べる遺伝子検査で陽性になる確率は、乳がん患者の約4%
日本人の乳がん患者がHBOCを調べる遺伝子検査(遺伝学的検査)を受けて、陽性であった確率は約4%と報告されています*5。もし家族や親戚にも乳がんや卵巣がん患者がいる場合は、この確率がさらに高くなります。遺伝情報は近親度によって共有される割合が異なります。詳細は下記で解説しています。
遺伝子検査の費用は?
一部の乳がん患者は保険適用となり、3割負担で約6万円
HBOCを調べる遺伝子検査(遺伝学的検査)の費用は、一部の乳がん患者において2020年4月から保険適用となりました*11。検査費用は6万円程度(3割負担の場合)で、検査時には診察料や採血料、カウンセリング料が別途必要になります。HBOCの診断目的で保険適用となる条件は、以下いずれかにあてはまる方です*5,*11。
- 45歳以下で乳がんになった女性
- 60歳以下でトリプルネガティブの乳がんになった女性
- 2ヶ所以上の原発性乳がんと診断された女性
- 自身が乳がんと診断され、血縁関係のある第3度近親者※に乳がん・卵巣がんの罹患者がいる女性
- 乳がんと診断された男性
- 卵巣がん・卵管がん・腹膜がんと診断された方
※第3度近親者*5:父母、子ども、きょうだい、祖父母、おじ・おば、おい・めい、孫、異父きょうだい、異母きょうだい、曾祖父母、大おじ・大おば、いとこ
また、保険診療で行う場合は高額療養費制度の対象になります*5。ご自身が負担する金額は、年齢や所得によって異なるため、事前に確認しておきましょう。
その他の方は自費診療。“血縁者向け検査”であれば2~7万円で受けられる
上記に示した保険適用の条件に当てはまらない方は、遺伝子検査(遺伝学的検査)の費用が全額自費になります。検査費用は病院によって異なり、10~20万円です*5。なお、保険診療ではないため、高額療養費制度の対象にもなりません。
もし、血縁関係のある家族・親族ですでに遺伝子検査(遺伝学的検査)を受けてHBOCと診断された方がいる場合、“血縁者向け検査”を受けることができ、費用を2~7万円に抑えられます。血縁者向け検査は、正式名を「シングルサイト検査」といい、遺伝子を調べる際にすべての配列を調べるのではなく、血縁者でがんになりやすい変異が認められた部分のみを調べる検査です。そのため費用は比較的安価で、かつ約2週間と短い期間で結果が返却されます*5。
遺伝子検査の結果のメリットとデメリットは?
遺伝子検査を受ける前に検査のメリット・デメリットを理解しておこう
遺伝子検査(遺伝学的検査)のメリット・デメリットは以下のとおりです。
【メリット】
・乳がんや卵巣がんの予防や対策がとれる
・乳がん患者は、治療の選択肢を増やすことができる
など
【デメリット】
・経済的負担が大きい
・将来に対する不安が生じる
・家族を不安にさせる可能性がある
・社会的不利益をこうむる可能性がある
など
経済的負担については、前述したとおりです(「遺伝子検査の費用は?」参照)。そのほかのメリットとデメリットについては、以降で詳しく解説します。
遺伝子検査のメリット
遺伝子検査を受けるメリットは大きくふたつあり、高リスクに適した乳がん・卵巣がんの予防や対策がとれること、乳がんになった場合の治療の選択肢を増やせることが挙げられます。
メリットその1:乳がんや卵巣がんの予防や対策がとれる
遺伝子検査(遺伝学的検査)を受けてHBOCと診断されると、乳がんや卵巣がんの発症リスクが高いと言えるため、それに対して予防や対策をとることができます。がん検診や乳房の自己触診などを積極的に行えるようになるだけでなく、「サーベイランス」や「リスク低減手術」という方法もとれます。
サーベイランスとは、自治体が行うがん検診よりも、よりきめ細かく計画的にがんの早期発見を目的とした検査のことです。例えば、自治体が行う乳がん検診では40歳以上から2年に1回マンモグラフィを受診できますが、乳房サーベイランスでは25~29歳の間は乳房造影MRIを毎年実施し、30~75歳の間は乳房造影MRIとマンモグラフィを毎年実施します*5。
リスク低減手術とは、がんの予防的措置として乳房や卵巣を切除する方法です。米国女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、2013年にリスク低減乳房切除術を、さらに2015年にリスク低減卵管卵巣摘出術を受けて大きな話題になりました。リスク低減手術はがんの発症を高い確率で回避できますが、HBOCであっても必ずしも乳がんや卵巣がんを発症するわけではないので、実施については主治医や遺伝の専門家である遺伝カウンセラーとよく相談して決めることが大切です*5。
HBOCのサーベイランスやリスク低減手術の費用は、乳がんまたは卵巣がんと診断された方以外は保険適用外となり全額自費です。日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)が2022年診療報酬改定に基づいて行った試算によれば*5、乳房サーベイランスとしての乳房造影MRIは約35,000円、マンモグラフィは約5,620円で、乳房のリスク低減手術は約50~60万円です。また卵巣サーベイランスとしての経腟超音波(エコー)検査は1,590円、腫瘍マーカー(CA-125)は1,077円で、卵巣のリスク低減手術は60~80万円です。
メリットその2:乳がんを発症した場合、治療の選択肢を増やすことができる
HBOCで乳がんを発症した場合、あるいは乳がん患者でHBOCと診断された場合は、一定の条件下でPARP(パープ)阻害薬という治療薬を使うことができます。乳がんの薬物治療には、化学療法、ホルモン剤、分子標的薬の3種類があり、乳がんのタイプに合わせて選択されます*2。分子標的薬とは、特定の細胞のみを攻撃する治療薬です。PARP阻害薬は分子標的薬の一種で、BRCA遺伝子の変異を持ったHBOCの乳がん患者に使用されます。よって、遺伝子検査(遺伝学的検査)を受けてHBOCと診断されることは、治療の選択肢を増やすことにつながります。
また、乳がん患者でHBOCの方は、HBOCでない方と比べて乳がんの再発リスクが高いことが知られています。そのため、乳がんの手術前にHBOCと診断されれば、乳がんの再発リスクを考慮し、乳房温存手術ではなく、乳房全切除術が選択されることがあります*8。乳房温存手術とは乳房を部分的に切除してがんを取り除く方法で、乳房全切除術は大胸筋と小胸筋を残してすべての乳房を切除する方法です*2。
遺伝子検査のデメリット
遺伝子検査を受けるデメリットには、家族を不安にさせる可能性、誤った知識による社会的不利益をこうむる可能性が挙げられます。
デメリットその1:家族を不安にさせる可能性がある
遺伝子検査(遺伝学的検査)の結果が陽性であれば、家族にもHBOCの方がいる可能性があるため、家族を不安にさせるかもしれません。親から子どもに遺伝する確率は性別に関わらず50%です*5。また、遺伝していたとしても、乳がんや卵巣がんを必ずしも発症するわけではありません。
一方で、家族もHBOCの可能性があるとわかれば、それに対する予防や対策を行えるメリットもあります。家族への伝え方や子どもへの遺伝などが不安な場合は、主治医や遺伝カウンセラーに相談することができます(後述の「乳がんの遺伝子検査は受けるべき? だれかに相談したいときは?」参照)。
デメリットその2:社会的不利益をこうむる可能性がある
遺伝子情報は究極の個人情報です。遺伝子情報が予期せぬ形で他人に知られることで、保険や結婚などにおいて社会的不利益をこうむる可能性はゼロではありません。「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」では、遺伝情報にアクセスする医療従事者に対し、遺伝学的検査を受けた方やその血縁者への社会的利益や差別につながらないよう適切な取り扱いを求めています*12。
なお、生命保険協会は2022年5月、生命保険の引受(保険契約の成立)や支払いにおいて、遺伝学的検査結果の収集・利用は行っていない旨の声明を発表しています*13。HBOCの可能性がある方は不利益をこうむらないよう、この声明を踏まえて民間保険への加入時の契約内容、また加入済みの保険内容を確認しましょう。
乳がんの遺伝子検査は受けるべき? だれかに相談したいときは?
遺伝子検査を受けることは任意。不安なことは遺伝の専門家に相談できる
遺伝子検査(遺伝学的検査)は、HBOCの可能性が考えられる方に考慮されますが、HBOCの疑いが強くなくても検査を受けることは可能です。また、いったん受けない選択をしても、将来的に気持ちが変われば受けることができます。
自分がHBOCではないかと心配になった場合には、主治医以外にも遺伝の専門家(遺伝カウンセラー)に相談ができます。遺伝カウンセラーによるカウンセリング(遺伝カウンセリング)を受けて、自身が検査を受けたいと思ったら誰でも受けることができます*5。遺伝カウンセリングではほかに、遺伝子検査(遺伝学的検査)の費用、家族への遺伝といった不安や心配ごとなども相談することができます。HBOCや遺伝に関してていねいな説明を納得できるまで受けられ、最適な選択肢を一緒に考えてくれます。希望すれば家族も同席することもできます。
遺伝カウンセリングはどこの医療施設でも受けられるわけではありません。「遺伝子医療部門」のある医療施設で行われるため、事前に確認しておきましょう*5。
遺伝子検査を受けなくても、がん検診は必ず受けよう
遺伝子検査(遺伝学的検査)を受けて乳がんの発症リスクが高いと知ることが不安な方は、受けない選択もあります。ただし、血縁関係のある家族・親族に乳がん患者がいる場合は、いない場合に比べて乳がんの発症リスクは高いことが知られています。そのため、乳がん検診は必ず定期的に受けるようにして、乳がんの早期発見に取り組むようにしましょう。
乳がん検診を受けられる医療施設は以下から検索できます。
https://www.mrso.jp/breast/
初めて乳がん検診を受ける方は、下記記事で検査の流れや服装など検査前の注意点について確認できます。
参考資料
*1.がん研究振興財団「がんの統計2022」
*2.日本乳癌学会 患者さんのための乳がん診療ガイドライン2023年版
*3.日本医師会 知っておきたいがん検診 乳がんの原因
*4.Tung N. Frequency of Germline Mutations in 25 Cancer Susceptibility Genes in a Sequential Series of Patients With Breast Cancer. Journal of Clinical Oncology, 2016 May.
*5.日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構 遺伝性乳がん卵巣がんを知ろう! みんなのためのガイドブック2022年版
*6.Nancie Petrucelli,et al. BRCA1- and BRCA2-Associated Hereditary Breast and Ovarian Cancer. May 26, 2022. GeneReviews [Internet], University of Washington, Seattle; 1993-2023
*7.経済産業省 第2回 消費者向け(DTC)遺伝子検査ビジネスのあり方に関する研究会 資料4「『DTC遺伝子検査ビジネス事業者に対するガイダンス(仮称)』の検討の方向性について(2)」
*8.日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構 遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン 2021年版
*9.国立がん研究センター 中央病院 よくある質問 保険適用範囲
*10.厚生労働科学研究費補助金 がん対策推進総合研究事業 ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究班(櫻井班)「遺伝性腫瘍と遺伝学的検査をよりよく知るために」2023年
*11.日本乳癌学会「遺伝性乳がん卵巣がん症候群の保険診療に関する手引き」2020年
*12.日本医学会「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」2022年3月改訂
*13.生命保険協会「生命保険の引受・支払実務における遺伝情報の取扱につきまして」2022年